日曜午後は、家内と約束していた映画を観に行ったのだが、人ごみも有ったのだろう、翌月曜には、また、今一つの調子となったので、火曜日を休んだ。これは、予定になかったので、どうしようかな、と思ったが、考えてみれば、確定申告をやるチャンスだと気づき、例年になく早く仕上げてしまった。他に、家内と最近話しているファミリービジネスの一貫で、レストランの運営という話をした。
山形にアル・ケッチァーノのというイタリアンがあり、これを含めてレストラン運営やプロデュースをしている奥田政行氏がいる。この人の書いた本が大変面白くて、且つ為になるのである。結局何にでも通用することなのだが、自分のキラーポイントを把握する。地産地消や、季節性など、原料Sourcingで優位性を持つ(よって人脈大事)。コース料理は、バランスが大事であり、アンティパスト、プリモ、セコンド、ドルチェに至るまで一本調子ではダメで、常に変化を持たせる。
人材教育が重要、スタッフは同質化を求めず、敢えて、相性の悪い人を混ぜて緊張感を持たせる。
常に新しい技術や、メニューの開発に努力する。辺りを説いており、難しくないことなのに、中々皆できないことばかりだ。早く独立する日を迎えたい。
日本のアニメなんか、勝手に中国あたりで違法コピーされて著作権料取りっぱぐれているわけだ。これを、comfort animation とか呼んで、「永年にわたり、勝手に中国設定に変えられて読まれ、ひどい目に遭ってきました。私は、慰安画です。慰謝料を要求します」と言って、正規の著作権料と、慰安画への慰謝料を取る、ドラゴンボールも、ドラえもんも、サンリオキティちゃんも、宮崎駿も立ち上がるのだ!
そうだ、海外でメチャクチャマズイニセ日本料理屋をやってる奴らもついでに訴えて慰謝料を取ったれや~個人の気持ちとしては、全く仰る通りと思います。実感しにくい話ですね。ですから、批判するなら、150万円と計算した根拠を出せ、GDPの6割を占める個人消費は、150万円のうちどれだけ分だ、ぐらいは言って欲しかったな、と思います。
企業の業績が円安で一時的に良くなり、株価が上がり時価総額が上がっても、日々の暮らしに直結する給料が増える感じは一向にしないし、抑も、給料が上がることで幸せな生活なんかできなくて、感じいい人と一緒に仕事している方が幸せだとつくづく思います、ハイ。
多分この辺が帰国子女でない人が望める上位5%でこれ以上取るためには結構特訓して試験傾向に沿ったものをやらないと難しくて、しかもその効果は未知数だ。つまり、それだけこだわる事に意味があるか?と言う問いになる。TOEICは手段で目的ではない。
ただものすごく良くできたテストなので、これで900点レベル行かない場合には、 Reading/ Listening のどちらかに英語でビジネスディスカッションをするには問題有る可能性が高い、と言う事になると思う。武田薬品の人も多く知っているが,海外で仕事する人は730ぐらいは取れて,細かいところは商社などを使うと言う感じだ。
中学・高校時代は、とにかくテキストを暗記してテストはようやく70~80点…理数国で稼ぐしかない!と英語は半分捨てていました。高校の時、「Listeningはできるのに、どうしてWritingはできないの?」と嘆かれましたが、文法を覚えられなかったので、音を覚えるしかなかったんですよね…。今になって後悔しています。
家内は、話の内容の正しさより、「言い方」の方に焦点が寄っています。ただ逆説的に言えば、「言ってもらいたい方向」に誘導する力は有りません。大体、息子が言うこと聞かないのは、僕のせいだと言ってきたら、僕が何と答えるか、に思い至らないところが。。。。どうしたら良いか、と相談してくるなら話にも乗りますが、呆れました。13歳だって、相手の能力くらい苦もなく見切りますからね。まぁ、簡単に言えば、息子に露骨にバカにされるのが屈辱的なのです。だから、自分の得意なフィールドでアピールすべきなんですが、アートは出番が無いのです。
家には家内の作品(昔のですが)も飾って有るし、それなりにリスペクトしているんですけどねぇ。機織りが有るのですが、使っているのを見たことがなく、アイロン前の、乾いた洗濯物が吊してあったりするので段々、あぁこんな感じなんだ、になってしまうのかも知れません。
今回、こうした家族会のような組織が結成される事は良い事なのでしょうが、移植医療全体を見た場合には、移植後の患者のケアだけに留まらず、ドナーやドナーの家族に対するケアを充実させる必要があります。
そもそも、こうした部分をないがしろにしていては、いくら法改正によって本人の提供意思が不明でも、家族の同意によって臓器提供を可能にしたところで、その家族からの同意を取り付けられるのでしょうか。
臓器移植によって助かる命だけに目を向けるのではなく、その影で亡くなっていかれる方々にも、もっと目を向けていかなければ、健全な移植医療体制は築いていけないでしょう。