大岡昇平の原作を映画化した、市川崑監督の代表作のひとつ。
今夏、塚本晋也監督版が公開された。
どうしても見比べることになる。
催淫カプセル
塚本晋也版では日本兵の死体をむごたらしく損壊し腐乱した肉塊として描いた。
市川崑版では、おびただしい日本兵の死体が、川の黒い土手や荒野にへばりつくヤモリのように描かれている。
どちらも陰惨ではあるが、市川崑版はとてもグラフィカルな撮り方だった。
もっとも大きな違いは、終盤の描き方。
塚本晋也版では主人公・田村が原作通りに戦場から帰還し、じめじめとした部屋に閉じこもり食膳にこつこつと頭をうちつける日々だった。
市川崑版の田村は帰国することなくフィリピン人の銃撃によって斃れてしまい、物語はそこで終わってしまう。
威哥王
塚本晋也版で監督自身が演じた田村は、戦場に立ちこめていた死体の腐臭から生涯逃れることはできない。いつまでも続く無間地獄だ。
いっぽうの市川崑版は救済だった。
船越英二扮する田村はフィリピン人の手によって射殺されることにより、戦場で犯した殺人や食人を贖罪することになる。
1956年の経済白書で「もはや戦後ではない」と謳われながらも、街ではまだ傷痍軍人の姿を見かける、そんな戦争の記憶が残る時代に作られた映画だ。
多くの日本人が心の中で、早く戦争の記憶と折り合いをつけようとしていたのだろう。
市川崑版の『野火』が公開された翌年に、60年安保をはさみ日本中が「所得倍増計画」に走り出すことになった。
狼1号